ヴォアザン・アエロディーヌ Voisin Aerodine

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大恐慌による混乱の中流線型のデザインが流行した1930年代初期、 ガブリエル・ヴォアザンは流行に逆らい四角い自動車を作り続けていました。 カーグラフィック誌1988年10月号の「ヴォワザン・ストーリー4・偉大なメイクの最期」という記事中のセルジュ・ベル氏によるテキストにはこのような 部分があります。

しかし、ガブリエル・ヴォワザンは彼が1920年代なかばに築き上げた美的傾向を依然固持していた。ヴォワザンは「機能は抑え難く緊要で ある」と書き、それを実行した。1925年以降、彼は優れた視界と、箱型の割には良好な空力、そしてランニング・ボード上のトランクのような 便利なアクセサリーを持つ車をデザインした。ガブリエル・ヴォワザンの車は、最初に出現するといつも、市場に大きな波紋を巻き起こした。 それにもかかわらず、自動車の流線型の青春期にあって、ヴォワザンは世界中で最も機能的だが、魅力に欠ける車のひとつであった。

記事中に写真で紹介されている、当時「魅力に欠ける」と思われていたその車たちの端正で無駄の無いデザインのなんと美しいことでしょう。 そしてスリーブバルブ の6気筒、3Lエンジンの一連の主力車種の延長上にヴォアザンが発表した最初の「真の流線型」の車がアエロディーヌだったそうです。ただ同時期にすでに3次元的な流線型ボディ を持つクライスラー・エアフローが発表されていることを思うと、アエロディーヌの デザインは時代の波に乗ったものというよりは独自の道を行くものであったといえるでしょう。しかしそれは完全な円弧を描く屋根 の線という他にない方法でアール・デコの時代の精神を反映しています。しかもその円弧は伊達ではなく、それに沿って屋根が前後にスライド して開閉するようになっており、屋根を開いたときに後方視界を妨げないように一列に丸窓が穿たれています。この丸窓は屋根を閉じた ときには天窓になります。このような思い切った形態をとりながら、前から見ると何食わぬ顔をして従来と変わらぬラジエターグリルを 押し立て、なおかつデザイン的に破綻をきたしていないのは見事です。

ラジエターキャップの左右からフェンダーの峯にむかって伸びるやじろべえの腕のようなもの はほとんどのヴォアザン車に見られますがこれはじつは飛行機の翼を表した単なる装飾で、航空機メーカーとしての出自をアピール しているようです。 ヴォアザン兄弟ライト兄弟ファルマン兄弟と並んで 飛行機の黎明期、実用化におおいに貢献した兄弟でした。早くから航空機製造を事業として考え、世界最初の 航空機製造工場を作り軌道に乗せました。1912年、弟のシャルルは事故で死亡してしまいましが、 ライト兄弟が特許紛争にエネルギーを注ぎ ビジネス的にはあまり成功しなっかたのとは違い、 ヴォアザン社の事業は大きく発展ししました。しかしその航空機メーカーとしての成功の後半は第一次大戦の軍用機の需要によりもたらされたものでした。 第一次大戦が終了すると軍用機の需要は急減するので自動車の製造に乗り出したわけですが、航空機メーカーとして有名だったことも あって高価だったにもかかわらずよく売れたそうです。飛行機の翼を表す装飾をつけたくなる気持ちはわかりますが、 ヘッドランプの上に架かるハの字眉のような形は先端技術とか精悍というイメージとは遠いように思います。 もっともこれがまさにヴォアザンを印象づける特徴になっており、この力の抜け具合、達観したような顔つきが品格をかもし出しているのかもしれません。

アエロディーヌは大恐慌の影響で大変な贅沢品だった自動車、とりわけヴォアザンのような高級車が売れなくなった時期に登場しましたが、ヴォアザンの危機を救うものではなかったようです。 佐貫亦男氏は、「マン・アンド・マシン」 (講談社)のなかでヴォアザンについて少し厳しい評価を下しています。

ボワザンは、すでにその初期飛行機で、複葉主翼の前後支柱間に幕(カーテン、横揺れ防止のつもり)を張って箱凧形式を始めた。また、ライト兄弟の主翼ねじり方式 (補助翼の前駆)がまだ知られていなかったせいもあるが、旋回を方向舵だけで行ったから、横滑りを伴って危険な機体であった。 それをライト兄弟がヨーロッパで公開飛行を行った後も頑強に補助翼なしで続けた。

変わり者といえばそのとおりだが、流線形はこんな変人と道連れにされてははなはだ迷惑したにちがいない。なにしろ、流線形車体と 古典的ラジエターが同居したのだから、どちらも居心地が悪かったであろう。こんな道楽ができたのは、第一次世界大戦中に飛行機生産 (中期以後はろくな自社開発機がなく、他社のライセンス生産をやった)でもうけた金があったからにちがいない。

(中略)ボワザンはドイツのルンプラーに続いて、飛行機屋は自動車屋になれぬ例をもう一つ作ってしまった。

(引用文中流線形車体と古典的ラジエターが同居云々というのは、アエロディーヌのことではなく、直接には アエロスポールに似た 2ドアのボディをまとい、直6エンジンを2基縦置きにした1台限りの怪物的モデルのことを指すようです。)

ヴォアザンの一連の高級車は時代の流れから距離をおいた特異な存在であったかもしれません。 しかし前述のカーグラフィック誌の記事中にはシトロエン2CVのデザインソースがアエロディーヌにあることを示唆するような記述があります。また2CVの チャールストンというモデルはカラリングも アエロディーヌそのままであり、このことはアエロディーヌが歴史上意味のある存在であったことを示すのではないでしょうか。

本文中これらのサイト内のページへのリンクを置かせていただきました。

シトロエン・2CV - Wikipedia (ヴォアザンからルノーを経てシトロエン入りし「2CV」開発責任者となったアンドレ・ルフェーヴル Andre Lefebvreについての記述あり)

http://www.taisei.co.jp/galerie/archive/pictures/nouveau.html
(ガブリエル・ヴォアザンはル・コルビュジエの実現しなかったパリ改造計画-「ヴォアザン計画」を支援)

ル・コルビュジエ自身の大衆車構想