06/7/2
以前年賀状用に作った Blender データに手を入れ、ポルシェ356のデスクトップ壁紙を作ってこのたび Desktop Wallpaper Gallery 1 に加えました。私はこのクルマには思い入れがあり、できればいずれ別のかたちで作品にしようと思っています。 なぜこのクルマに思い入れがあるのか、考えてみると、おそらくその形に特別な雰囲気があるからではないかと思います。 そしてこのクルマのフォルムに固く中身が詰まったような充実感があるのには理由があるように思います。 ポルシェ356は特殊な背景を持つ名車 フォルクスワーゲン ・ビートル、カブト虫をもとに作られたクルマであり、ヨーロッパの苦難の歴史から結晶した固い何かだ、と私は 思っています。
「ポルシェ博士とヒトラー―ハプスブルク家の遺産」 (折口 透 著) グランプリ出版 より引用します。
中でもボヘミア地方の人々は、昔から芸術的才能に恵まれた民族として知られていたが、例えばそこに生まれた、作家のフランツ・カフカ、 作曲家のグスタフ・マーラーもその代表といってよい。ボヘミア出身者に限らずオーストリア・ハンガリー帝国内の野心のある者はすべて、 帝都ウィーンに集り、そこで自分の才能を開花させようとした。19世紀末のそうした無数の野心にあふれた若者たちの中に、この物語の主人公 となる二人の男がいる。フェルディナント・ポルシェと、アドルフ・ヒトラーである。
活躍の場を求めてウィーンに行った フェルディナント・ポルシェと アドルフ・ヒトラーの運命は対照的なものでした。 水を得た魚のように才能を発揮し技術者として名声を得ていくポルシェと、画家になる夢破れ行き場を失うヒトラー。最近の研究ではこの時期のヒトラーの生活は経済的にさほど困窮していた わけではないとされているようですが、精神的には追い詰められていたのではないでしょうか。事実かどうかはわかりませんが、このような証言もあったそうです。 後にヒトラーがヨーロッパに破滅的な事態をもたらした事にこのときの経験がどれだけ関係しているのか、多くの研究がなされた ようですがヒトラーの心の中を正確に測ることはできないでしょう。
そしてどういうめぐりあわせか、この2人が20世紀になってからのドイツで国民車構想を推し進めることになります。独裁者が国民に与えるためのアメ、という面もありますが、 当時「労働者が自動車を買える」という状態を実現していたのは米国だけであり、それを見たヨーロッパの人々がなんとか自国でも実現しようと知恵を絞ったのは当然でしょう。 ドイツで真っ先にそれが実現すれば対外的にドイツの力を誇示できるということもあったでしょう。それだけに「国民車」( Volkswagen )を作るための人々の努力は徹底したものでした。
「マン・アンド・マシン」 ( 佐貫亦男著 )から引用します。
実用走行試験の総費用は3000万マルク以上、すなわち、価格950マルクのフォルクスワーゲン3万台分といわれる。自動車史上これほどテストに 費用をかけた前例はなく、今後もあり得ないであろう。普通はこの10分の1以下である。フォルクスワーゲンの欠点を除くための費用だけでも、 通常の新車開発費に相当したという。
水平対向四衝程四気筒エンジンに到達する前すでに、ポルシェは四衝程二気筒、二衝程二気筒、三気筒、複動ピストン、ディーゼルエンジン さえも試みている。エンジンのとりつけ位置決定のためだけでも500万マルク、すなわちフォルクスワーゲン5000台分の費用を使ったと称される。
その徹底振りは量産体制の構築にもおよんでおり、ポルシェ自身が渡米し、ヘンリー・フォードの協力を得ました。 ヘンリー・フォードはヒトラーから ドイツ大鷲十字章を贈られましたが、佐貫亦男氏は上記「マン・アンド・マシン」 でその本当の理由はこの協力にあったとしています。
こういった徹底した姿勢には、軍用車への転用が織り込まれていたという事情もあるでしょうが、国民は商品を選ぶ必要は無い、ほんとうにいいものを大量に生産できるのなら1種類でもかまわないという計画経済的発想が色濃く現れているように思います。
フォルクスワーゲンの流線形(風)の外観は、タトラ97などと同様の1930年代中欧の小型車の文法にのっとってオーソドックスにまとめられているようです。 (ちなみに水平対向4気筒の空冷エンジンをリアに置いたバック・ボーンフレーム、全輪独立懸架という基本構造もタトラ97と同じでした) フォルクスワーゲン・ビートルのあの丸っこいスタイルは、この時代にはよくある形だったのです。 ポルシェはこれを設計する前にチュンダップとNSUで似たような車を設計しており、手馴れたものだったでしょう。 しかし改良に十分な手間と時間をかけるうちボディのフォルムも洗練を重ね、ある意味平凡ながらも尋常でない完成度を見せるようになったのだと思います。 戦後ビートルという通称が人々に違和感なく受け入れられたのはその造形の完成度が自然の造形による昆虫のそれに近い域に達していたからかもしれないと思うくらいです。
そのようにして作られた「国民車」は、国民が給料の中から一定額を積み立てて手に入れることになっていましたが、その前に 戦争が始まり、車は軍用車に転用されてしまい国民の手には渡らず、結局カブト虫が本当の意味で国民車になるのはドイツが破壊されつくした後、復興する西ドイツ においてでした。鍛えぬかれたデザインは戦後長い間古さを感じさせることなく通用し、外貨を稼ぐのにも役立ったのです。(一方東ドイツでは人々はナチ時代と似たような 積み立て制度でカブト虫より見劣りのする「トラバント」を買わなければなりませんでした。)
戦後まだ完全に再建されない工場でフォルクスワーゲンの生産が始まったとき、ポルシェはそれを見ることができませんでした。 上記「ポルシェ博士とヒトラー」の著者折口透氏の別の著書「夢をかたちに」(グランプリ出版)から引用します。 (ちなみにこの本には森優氏による美しいイラストが数多く入っていて、それを眺めるだけでも楽しいものです。)
ドイツ人を憎むことの甚だしかったフランス人は、ポルシェをはじめ、息子のフェリー、設計部長のカール・ラーベを、戦争犯罪人として フランスの刑務所に幽閉した。別に正規な裁判を行なったわけでもなく、むしろいやがらせに近いものだったが、フェリーとラーベはすぐ 釈放され、ポルシェ博士だけが獄につながれたのだった。余談だが、彼は、息子とラーベが、イタリアの チシタリアGPマシンの設計によって 得た金を差し出すことで、ようやく幽囚の身から救い出された。(47年8月まで)。
ポルシェ設計事務所は、大黒柱のフェルディナントを欠きながらも、なんとか生き延びていかなければならなかった。 大戦中の疎開先はオーストリアのケルンテンの小村グミュントである。そこで彼らは、キューベルワーゲンなどの修理をして 細々とその日暮らしの生活を送った。だが若いフェリーがそうした状態に満足できるはずもなかった。彼はラーベと協力して 一台のスポーツカーの設計を開始した。フランスからようやく戻ってきた父フェルディナントも貴重なアドバイスをしたことは もちろんである。
これがフォルクスワーゲンをもとにして設計されたポルシェ356のプロトタイプ1号車でした。1号車ではエンジンはミドシップに置かれていましたが、 次の2号車ではフォルクスワーゲンと同じくリアエンジンにもどされました。そして量産型とほとんど変わらないこの2号車のボディをデザインしたのが ベルリン=ローマ型フォルクスワーゲンのボディのデザイナー、エルヴィン・コメンダだったそうです。 このベルリン=ローマ型というのは、1939年に予定されていたベルリン−ローマの長距離レースに出るためにフォルクスワーゲンをもとに作られた もので、この時点ですでにポルシェ356の面影があります。
aki's STOCKTAKING : Erwin Komenda
ボヘミア出身のフェルデナント・ポルシェが タトラで活躍したハンス・レトヴィンカ( Hans Ledwinka )のようなハプスブルク帝国の多くの技術者の努力の成果を受け継ぎ、全体主義国家の巨大プロジェクトと結びつくことで 姿を現したフォルクスワーゲン。この特異な背景を持つクルマから戦後ポルシェ356が生まれ、それは現在のような高級ブランドとしてのポルシェが築かれる基礎となりました。そしてその多くが米国に輸出され西ドイツの復興を助ける ことになりました。そのためかアメリカの映画やTVドラマで「古い洒落たクルマ」としてその姿をよく見かけるように思います。 「48時間」( Another 48 Hrs. ) のエディー・マーフィー演じるお調子者や、 ビバリーヒルズ高校白書( Beverly Hills 90210 ) の「ディラン」が黒いポルシェ356に乗る姿は実に様になっていました。とはいえ、私は「48時間」のニック・ノルティが演じるポルシェ356が似合いそうにないキャラクターのほうが好きですが。
06/7/24追記
ある意味オリジナルよりも出来が良いレプリカが今でも作り続けられているということは、ポルシェ356が特別なクルマである ということの証左かもしれません。 ここには、インターメカニカ356について、「発売から20年を経て、現在の現存率は98%以上という驚くべき数字」 とありますが、確かに驚くべき数字ですね。
06/8/25追記
スロヴェニアの洞窟に生息し、その名前故にネオナチやヒトラー・マニアに珍重されるという「ヒトラー・カブト」( Hitler beetle )こと "anophtalmus hitleri" の画像はシュピーゲル誌サイトのこちら にありました。(フォルクスワーゲン・ビートルとは全く関係ありません)
(上の記事は削除されましたが、今はもう少しいろいろな画像があちこちにあるようです。- 07/10/13 追記)
これ全然カブト虫じゃないと思いますが、英単語のbeetleは日本語の「カブト虫」より広い範囲 (甲虫全般?)を指す言葉のようなので しかたないのでしょう。その意味ではフォルクスワーゲン・ビートルのことをカブト虫と呼ぶのも少し不適切かもしれません。